333DISCS PRESS
●西荻の街角から〜トウキョウエコノミー
ヤバ経!
文責:三品輝起
ぼくの頭に震災後ずっと浮かんでたのは、経済学者のスティーヴン・D・レヴィットと、ジャーナリストのスティーヴン・J・ダブナーによる『ヤバい経済学』(東洋経済新報社)っていう、一冊の本だった(注1)。5年前に出会ったことをいまでも感謝するくらい、とーってもイカした本だ(ちなみに音楽は反町隆史氏「ポイズン」が鳴り響いている)。今年の5月末に映画版も公開されたことだし紹介してみたい。
本書は世間知らずのわたくしに「こんなにもあいまいで複雑でまるっきり信じられない今の世の中だけど、物事はちゃんと筋が通っているし、ちゃんとわかるし疑問の立て方さえ間違わなければ思っているよりずっと面白い(原書カバーより)」ってことをユーモアたっぷりに教えてくれた。お陰でデタラメの世界に翻弄されながらも、深夜の吉祥寺サンロードでポイズンを絶唱することなく元気にやってこれたわけだ。
本書を一言でいえば、誰も思いつかない天才的な方法で行われるデータマイニング(データの海でダイビングして、あっと驚く情報を見つけだしてくること)の寄せ集めだ。んで、全編を貫いているテーマがひとつだけあって、それはミクロ経済学の「インセンティブ」という最重要概念である。ちょっと説明してみます。
人はつねにある行動を取るとき、なんらかの判断(そこには損なのか得なのか相手のためか自分のためか善なのか悪なのか、ってのがぜんぶ闇鍋のごとく含まれてる)を主観的に下している。で、その選択行動を誘発するものの正体がインセンティブだ。もし、それさえわかればあらゆる現象を説明できる。とはいえ、じゃあおまえがここに長々と原稿を書くインセンティブは?なに?栄誉?お金?愛?……とか聞かれても困っちゃうように、インセンティブを言い当てるのはめっちゃくちゃ難しい。
彼ら自身はインセンティブについて続編でこう説明してる。「人はインセンティブ(誘因)に反応する。ただし、思った通りの反応でなかったり、一目でわかるような反応ではなかったりもする。だから、意図せざる結果の法則は宇宙で一番強力な法則の一つである。学校の先生にも不動産屋さんにもクラックの売人にも、それに妊娠中のお母さん、相撲の力士、ベイグル屋さん、ク・クラックス・クランにだって、この法則は当てはまる」。
強調しておきたいのは、個々人の判断は「主観的」であり、正しいか正しくないかはまったく関係ない。えてして多くの場合、短期的には正しくても長期的には間違ってる、なんてことが多い(主観的には合理的だけど、客観的には非合理的。なんて言い方もある)。ましてや人々はインセンティブに従っているなんてこれっぽっちも思ってない。彼らの独創的なデータマイニングからのみ、インセンティブの軌跡が魔法のように浮かび上がるのだ。
ちょっと脱線するけど、じゃあ人はなぜ、間違った選択行動をするの? それは与えられている判断材料となる情報が少ないからだ。リーマンショックだって半分以上はこれで説明できる。ちなみに情報の格差はすべて商売の端緒となってるので、ネットで情報が溢れて困っちゃってる人もいる(問屋やら不動産やら旅行代理店あたりに)。
もうひとつは有史以来、人類に取り憑いて拭い去れない呪いのせいだ。ウソ、行動経済学が解き明かしつつある、ありとあらゆるバイアスのせいである。もっとも代表的なものに「双曲割引」ってのがある。「今」と「明日(以降)」との違いを、「明日」と「明後日」の違いよりも大きく評価してしまう錯覚を指す。夏休みの宿題、多重債務、ダイエット、年金破綻などなど、みーんな同じ原理だ。「人間だもの(みつを)」ってこと。ほかにもバイアスは山ほどある、ほんとはそれらを包括する「フレーミング」っていうデッカい理論があるんだけど、これはいつか。
さてさて話をもどそう。ここ数カ月、放射線よりタバコのほうがアレだの、酒がアレだの、酒癖はどうだの、ただちに影響あるだのないだの、東京ニューヨーク間の飛行機がアレだの、ラドン温泉はどうだの、いろんな話を聞いた。
もちろん、ぼくの会話に厳密性はないんだけど、もう少し体裁をキチンと整えたら、それは本書でも多用されてる「リスク比較」と呼ばれる科学的な手法に近づいていく(レビットが得意とするデータマイニングのひとつだ)。上記の場合だと、それぞれの常識的な摂取量の平均をだして、その平均値ごとに発ガン性を割りだして比較する。事故後に国立ガンセンターなんかが発表してたやつも同じ。
真実は闇の中にありながらも、放射線の影響のみならず、ぼくらは社会のリスクについて考え比較し、スーパーの帰りに立ち話したり、電子の海でつぶやいたりしている。99%が又聞きだとしても、まるでみんなが、2人のスティーヴンみたいなことを言い始めてる。そんなこんなで、本書(と反町氏の歌)がぼくの頭に浮かんだっきり、離れないのだ。
いまぼくがヒシヒシと感じているのは、彼らが暴こうと格闘してた世界の裏側に、まるごとすっぽり入ってしまった、っていう感覚だ。先が見えないヴォルデモートばりの暗黒。インターネットに溢れている、あらゆる党派的で、攻撃的な情報の渦をかいくぐるのは至難の技だ。本書にある知性と冷静さと胆力とユーモアは、そんな手助けになるかもしれない(しかも彼らは世界中の嘘つきデータマイニングを暴く専門家でもある)。
最後にはっきりさせておきたいのは、彼らがしていること(相撲の八百長の証明や、中絶の合法化が全米の犯罪を減らした効果の発見などなど)は、身も蓋もないけど平均的な事実はこうなってますよ、っていうお膳立てだ。つまり伝統文化にズルがあってもよく、中絶の問題を犯罪との相関で決める必要もない。そこから先の社会のあり方は別の領域だってこと。
真実に近づくことだけが幸せってわけじゃないし、失ったものは、失ったもの自身の方法で取り戻すしかない。婉曲的な表現で申し訳ないけど、これがぼくの結論だ。ともあれ『ヤバい経済学』をおススメしますっ、クワヘリーニ!
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注1:ちなみに去年には続編『超ヤバい経済学』(同じ会社)ってのもでてる。アル・ゴアを茶化してちょっとした騒動になってたけど……。でも、彼らの先人ともいえる経済学者、ゲイリー・ベッカーの「仕事では純粋に自分のことしか考えてない人が、知り合いに対しては行きすぎなぐらい思いやりがあったりする」という研究から展開していく「身勝手と思いやりの信じられない話」は、時節柄(ちょびっと不謹慎だけど)ぴったしの論考。
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三品輝起(みしなてるおき)
79年生まれ、愛媛県出身。05年より西荻窪にて器と雑貨の店FALL (フォール)を経営。また経済誌、その他でライター業もしている。音楽活動では『PENGUIN CAFE ORCHESTRA -tribute-』(commmons × 333DISCS) などに参加。今年7月、アルバム『LONG DAY』(Loule)を発表。