333DISCS PRESS
●西荻の街角から〜トウキョウエコノミー
もし高校野球の女子マネージャーが
アダム・スミスの『国富論』を読んだら(何もいいことない)
文責:三品輝起
店を通じて知りあった人に、経済学部を卒業した旨を伝えると、よく「やっぱりなー、その知識を生かしてお店やってるのね……」と言われる。うーん。それってもしかして、経済学を金勘定の学問だと理解してるのかな? あるいは商学部や経営学部と混同してるのかも。
また去年暮れごろ、大流行りしてた『もしドラ』(注1)を、ほうぼうから「読んだ?」「どーなの実際」って聞かれた。やっとこさ今年の正月に読んだが、この今すぐにでも「おにーたーん」って飛びかかってきそうな、萌えキャラたちのサクセスストーリーと(よい本でした)、経済学はなーんにも関係ない。
これも恐らく本屋の棚が、経済学本と経営学本と、年収が10倍になる本と、ワタミ社長の本と、30歳までにやっておくことがずらずら書いた本と、株の運用本(あと自己啓発本とスピリチュアルなやつと『人間だもの』と……)をひっくるめて「ビジネス書」なんて名前になってるからだと思う。
で、残念ながら経済学と経営学は根本的にちがう。経営学は企業というシステムを分析、研究する学問だ。また成功している企業に共通した原理をとりだして、今後の組織経営に役立てるための分野でもある。
イメージとして、企業をぜーんぶ集めていくと一国の経済になる、そう思うのが自然かもしれない。ところが、企業と国とは性質がぜんぜん違う。この違いが経営学と経済学の違いと重なっている(注2)。
例えばマックとモスというハンバーガーショップが競争してるとしよう。マックが新しいハンバーガーを出してヒットすると、モスの売上が下がる可能性が高い。ほんとはこんな単純じゃないけど、こういう関係をゼロ・サム・ゲームという。
新聞なんか読んでると、日本の製品が世界のシェアを制覇しつつあるとか、どこどこの国の企業に日本の企業が抜かれたとか、だから国が支援すべきであるとか、毎日書いてある。やるかやられるかのゼロサムの世界であると。読者は国と国は、マックとモスのように熾烈な果たし合いをしてるように思っている。だけどそれは経済学的には間違いだ。例えば貿易理論の教科書には、そんな争いごとはでてこない。
じゃあ、国際貿易論というジャンルの基礎の基礎だけ紹介しよう。まずなによりもリカードという学者が発見した「比較優位」という理論を叩き込まれる。自由貿易における真の利益とは、相手国に対して絶対優位に立つ必要はなく、比較優位に立った輸入で得られる、といった理論だ。ホントはもっと複雑なので、詳しくはグーグルで(注3)。
あとは(哲学者ヒュームにまでさかのぼれる)変動相場制の自動調整作用なんかを習う。Aという国があったとしよう。Aの輸出が増えると、それにともなう通貨の取引も増える。するとA国の為替(通貨の相場)が上がる。でも為替の上昇は、他国との価格競争において不利になる。だから輸出が減る。そうやって貿易の不均衡が自動的に調整される。超わかりやすく言えば。
とまあ、開放系であるマクロな経済には、こういうヘンテコなメカニズムの仮説が山ほどある(注4)。要するに、経済と一企業の動きとはぜんぜん違うのだ。
いまから200年くらい前、西欧のはしっこで産業革命が起こり、またたく間に地上を覆いつくしていった資本主義経済という巨大な謎。偉大なる先達たちは果敢に立ち向かい、ちょっとずつ法則(ほとんどは仮説)を発見してきた。で、その法則をちまちま覚えていく学問が経済学だ。
数学の公式と似たそれは、まったく日常の役に立たない。マックとモスの競争のようなゼロ・サム・ゲームの世界において、のしあがる方法はどこにも書いていない。ましてやぼくのお店には生かせない。恋愛にもたぶんダメだろう。残念なことに。じゃあ何の役に立つの?
それが今まさに問われていることだ。市場は本質的に均衡ではなく、不安定さを抱え込んでいることも実証されてきた。世界の突端で、この瞬間も知性が試されている。でもその話はまたどこかで。さーて、そろそろ疲れたと思うのでこの辺で。ダスヴィダーニャー!