333DISCS PRESS

「旅行のときの必須アイテムは?」

【naomi】お休み用メディキュット。つま先があいていて、履くと足がむくみません。長時間フライトや歩き回った後には手放せない!!!

【tico moon 影山敏彦】
最近購入したiPad。色々と便利です。

【tico moon 吉野友加】
カメラ。旅先で空を撮ることが好きなので。

【青芝和行】
必須アイテムは特にないのですが、本を数冊って感じですかね。個人的に空前の横溝正史ブームなので、今ならそれを。

【甲斐みのり】
買い物をたくさんするので、大きなマイバック。この頃の旅は、iPhoneさえあればなんとかなってしまうような。

【チナボン】
パックを持っていきます。美容液がしみ込んでいる顔にのせて使うあれです。リラックス~

【FALL 三品輝起】
目隠し(というかアイマスクっていうのか)。暗闇好きなので。

【fleur de coeur 阿部桂太郎】
家内が使っているiPhone。普段は携帯電話すら持たない私くしですが、iPhoneは旅の必需品。ある時は地図に、ある時は時刻表に、そしてまたある時は出かけた先の町や村の情報を集めるために…。フランスの地方(田舎)に出かける時には欠かせません。

●乙女歌謡

こんにちは。甲斐みのりです。
333DISCS PRESSの乙女歌謡コーナーでは、日本語の歌に限らず、私が10代の頃に夢中になっていた、愛らしい歌をご紹介していこうと思います。

ANTENAのアルバムでベルギーのクレプスキュール・レーベルから出された『CAMINO DEL SOL』より、「Les Demoiselles de Rochefort」。映画「ロシュフォールの恋人たち」のテーマ曲のカバーです。クラフトワークの曲名にちなんだアンテナは女の子2人、男の子1人の3人組。10代の頃、女友達ふたりでお揃いの洋服を着ておしゃれして、ギターが弾ける男の子を呼んで、この歌を聴きながらホームパーティーなんていう、今ではとっても気恥ずかしい思い出が。そのときはもちろん、心から楽しんでいたのですけれど。
この頃また、十数年の時を越えて、10代の頃にこんなふうに夢中になっていた音楽を聴くようになりました。アンテナはもちろん私は、クレプスキュールのアーティストたちが大好きで、せっせいとお小遣いをためては、レコード屋にでかけていたのでした。しかしあの頃、ときめきながら聴いていた音楽は30代になってもやっぱりかわらずどきどきできて、それが嬉しいです。

 

甲斐みのり

文筆家。1976年静岡生まれ。旅・お菓子・各地の食材・クラシックホテルや文化財の温泉宿などを主な題材に、女性が憧れ好むものについて書き綴る。http://www.loule.net/

●チナボンボンブック

■野口法蔵「人間の頂」
「坐禅断食のすすめ」の著者野口氏の自叙伝。 カメラマンとしてマザーテレサを取材するためインドへ渡った野口氏。
当初はマザーテレサの施設に入っている人々を取材していたのですが、その施設に入れなかった人々が路上で死んでいくさまを目の当たりにして、彼のなかにひとつの疑問が。というのも彼らはとてもおだやかな顔をして死んでいくのだそうです。よい写真を撮るためにはこの謎をとかねば!と思った彼はなんと、インドのカースト制度のなかでも最下層のスードラと言われる人々とともに暮らし始めました。そしてそのうちにそれが、彼らの輪廻転生という死生観に由来しているということをつかみ、チベット仏教のお寺の門を叩くことに。しかも最終的には、チベットのなかでも最も厳しい修行をしているというお寺に入門するのです!

チベットのことわざに「体の問題を解決するときには心を動かし、心の問題を解決するときには体を動かせ」というものがあるそうです。想像を絶する厳しい環境に身を置き修行することによってつちかった彼の生き方の知恵には、とても説得力がありました。

 

■中沢新一「イコノソフィア」
イコン(聖画)というと現代の日本で普通に生活する私たちにとっては、あまり縁がないように思われます。が、聖書に描かれている聖人たちや天使、マンダラに描かれている世界などは、そもそもどういう意味や意図があって、伝えられてきたものなのでしょうか。 これをひもとくことによって中沢氏は、現代社会から消えてしまいつつある大切な思想を、ふたたび新しいかたちで現代によみがえらせようとしています。
この本を読むと、昔の人々の世界にも、羽根があって空を飛び回る裸の赤ちゃんのような天使は、実際には存在しなかったのだと改めて思わされます。当たり前のことのようですが(笑)。マンダラに描かれた世界にしても、今と同じく昔でも象徴的なものであったはずです。が、そういう目に見えない世界をフィーチャーすることによって伝えたい何かがあったのです。 科学が発達して、今は誰もたとえば天使が実在するなんて思う人はいなくなりました。ですが、かといってその天使が象徴していた思想までも、一緒に消えてしまっていいのでしょうか。そんなデリケートな問題提起ですが、彼独特のまるで詩のような語り口が大変に美しいので、なにかとてもうれしくなるというか、砂漠のような現実にも、実はわくわくするような人を元気にさせるような夢が潜んでいたのだなぁと思わされるのでした!

 

チナボン
バンドsugar plantのヴォーカル&ベース、正山千夏のソロユニット。2005年伊藤ゴロー氏のプロデュースで「in the garden」(333DISCS)をリリース。1994年詩集「忘却セッケン」で第10回早稲田文学新人賞受賞。http://blog.livedoor.jp/cinnabom/

●西荻の街角から〜トウキョウエコノミー:コミュニティコミュニティ(前半)

■ 前半の「はじめに」

いやー暑いですね。あまりに暑いので、わたくしの大好きなサッカーの話をしようかと思ったけど、WCも終わったみたいだし、代表メンバーもマルクスと田中とトゥーリオの3トップ以外、ぜんぶ忘れてしまったのでやめとこう。

というわけで今回は近場で、わが街・西荻の話にします。んで、そこから飛躍して、巷に横溢する「コミュニティ」という言葉について考えてみたい。コミュニティの復権、コミュニティと地域、都市のコミュニティ、コミュニティとコミュニケーション、コミュニティいいよね・だって人間だもの。などなど。みんな大好きコミュニティ、でもいったいなに?

■ 西荻「村」ってなに?

個人的な話だけど、わたしは西荻窪という小さな街にいる。中央線で新宿より西に15分、東西を荻窪と吉祥寺にはさまれている。ときどき「村っぽい」なんて揶揄されたりする。たぶんそれは西荻の独特の空気をうまく言いあらわしてる。

街はアンティーク屋と古書店が多いことで知られ、また都内でも知る人ぞ知るギャラリーや飲食店なども点在している。中央線沿線にかつてはあったヒッピー文化をひきつぐ店も残ってて、エコロジーからスピリチュアルまで混在してる。あと街の規模のわりに、ライブハウスや練習スタジオも多い気がする。

隣の吉祥寺にくらべ地価がずいぶん安いので、若者でも店がだしやすい。だから経済原理にあんま基づかない、ユニークな店がいっぱいある。それから、フリーの編集者とか漫画家とか小説家とかライターとかデザイナーとか、おかしな時間にうろうろできるフリーダムな大人たちがたくさん住んでる。そんな雰囲気に惹かれて引越してくる人もけっこういて、文学やら文化やらなんやらを考えるNPOのイベントも流行ってる。

つまり個人事業主や自由業者の割合が相対的に多くて、大きな資本があまり入り込んでいない。だから利便性は高くないけど(土日に中央線とまらないし)、その空気が好きな人が集まってる。都会の「村」とはそういうことだ。ほんとうの村落とはちがう。

 

■ テーマパーク村

さて以前、そんな西荻窪に東浩紀さんという哲学者が事務所を構えていた。店にも来てくださったこともあったんだけど、ある本で西荻のことを「サブカルチャーと全共闘的な夢にまどろんでいるテーマパーク」だと喝破してた。びっくりしたけど、とっても秀逸な言葉である。

店をもって、たくさん知人もでき、街のイベントに関わったりして、西荻を好きになればなるほど、この言葉の重みが増してくる。こりゃ、自分や、自分と似た考えを共有できる人にとっては居心地いいけど、他方、そうじゃない息苦しい人もいるかもしれない、って。一部の人々の理想やノスタルジーを叶えるための、閉鎖的な空間かもしれないという意見を、けっして忘れちゃいけない。コミュニティはつねに排除の論理をはらんでるのだ。

 

■ 美美美のコミュニティ

街おこしの会合というのをいくつか取材したことがある。アートで、スローライフで、デザインで、サブカルで、歴史で、街おこし。いっぱいあるけど、どこに行っても、なんの疑いもなくコミュニティを謳いまくる人ってけっこういる。ただの「仲良しごっこ」だけど、楽しそうだからまあいっか。でも補助金なんかもらっちゃってる場合は、他人事ながら心配になったりする。

ちょっと脱線するけど、「コミュニティ」に付随するマジックワードに「美」というのがある。本屋に行くと、美がどーのこーのというのが焼いて捨てるくらいでてる。美しい形、美しい身体、美しい自然、そのままが美しい・だって人間だもの。先日、知人がギャラリーをたちあげて、さっそくホームページを開けたら、でかでかと「心の底から生まれる、自然で本当の美」とかなんとか書いてあった。うーんすごい。

美意識はそれぞれコミュニティを形成してる。そんで、たがいに正統さを競いあってる。人と人を美でつなぎながら、同時に分断してる。これは芸術の本質的な傾向かもしれない(ドイツや日本のロマン主義と、ナショナリズムの関係については研究所が山ほどでてるので読んでみてくださーい)。でも今日は長くなるのでやめておこう。美が媒体となったコミュニティって案外多いし、難しいのだ。

 

■ 郊外論ってなに?

話は戻って、なんで街おこしの会合でにコミュニティの議論が頻出するのか。それには都市論における前提である「郊外(=ニュータウン)論」を知るとわかりやすい。というわけで超省略して説明を。

まず戦後しばらくして、都心の過密化を克服するために、「ニュータウン」という郊外住宅が日本中で造られた。まあ住居を安定供給できたのはよかったんだけど、バブルもはじけ90年代になると、あらゆる学者がよってたかって、地域コミュニティの崩壊とか、均質空間がどうたらとか、犯罪の低年齢化とか、家庭の崩壊とか、そんな一連の問題を郊外と結びつけて論じるようになった。そうやって形成されたものが「郊外論」であった。おわり。

まあホントかどうかは知らないけど、ひっくるめていえば、ニュータウンに象徴される問題とは、あらゆる意味でのコミュニケーションの「分断」だった、という認識である。たとえばここに『私たちが住みたい都市』(平凡社)という、東工大でおこなわれた一連のシンポジウムを集めた本がある。「分断」について語った西川祐子・京大教授の発言を見てみよう。

「ニュータウンの外の世界とニュータウンは一目でわかるほどはっきり分断されていますし、同じニュータウン内でも、賃貸、分譲、それから公営の街区はそれぞれ全く違いますし、それから、昼間は女の世界で、夜になって初めて男性が帰ってくるという意味でも分断だと思うんですが、それはやっぱり戦後住宅理論が、分離、閉じて区切るということをキーワードにしていたからじゃないでしょうか」

そして「次には開く、開いて異質なもの同士を混ぜる」という議論にすすむ。実に魅力的なロジックである。気づけば、21世紀になって猫も杓子も「コミュニティコミュニティ」と連呼してる。わたしだって「開いて異質なもの同士を混ぜる」という発想の魅力にとろけちゃいそうだ。そんな世界をたまに夢想したりもする。

 

■ つながりたい指向

まあ夢想はするけれど実際のところ、趣味、聴く音楽、ファッション、美意識、食べるもの、女性のタイプ(これは関係ないかー)、所得と就労形態、ナショナリズム、宗教観、あげくイデオロギー……、同じ都市にいながらあらゆる価値観において分かれている。顔をあわせなくてもいいくらい都市のゾーニングが進み、互いに冷笑することもないほど細分化してる。その状況を、ものの本では「タコ壷化」とか「趣味の共同体」とか「島宇宙」とか書いてあったりする。

たとえば仕事柄いろんなクラフト系のイベントを見たりするけど、「手仕事を介して人と人がつながる」みたいなグループ展ってめっちゃ多い。あらゆる作り手が「つながるつながる」ってがんばってる。また、そんな永遠の「つながりたい指向」をうまくつかったビジネスも溢れてる。ミクシィはいうまでもないけど、たまたま先日視察した「the SOHO」なんかも一皮剥くと、つながり欲求を満たしてくれる秀逸なビジネスだなーと思った。

また各種ワークショップ、セミナー、教室なども激増してる。シブヤ大学なんかも近いかもしれない。あと、ある街おこしイベントの方が言ってたけど、ボランティアスタッフの需要ってのもすごいらしい。ここまでくると、そこに他者はいるのか?なんて書生じみたことを訊くのは、もはや時代遅れだろう。

 

■ 前半の「おわりに」

まじめな話、昔だったら地域や家族、男性だったら会社という疑似家族ともいえるコミュニティが自己承認をしてくれた(「会社共同体」なんてよばれて海外から研究されてました)。それらが壊れつつある。

でも完璧とはいえないけど、都市部の人々は小さな集団にわかれることで、さまざまな形で自己承認してくれる代行システムをつくってきたようにすら見える。もはやコミュニティは「居場所」と同義になってる。おそらく、そこでは自ら居場所をつくることのできる強者と、居場所をひたすら求める弱者が混在してて、世界は日夜、星屑のように小さく小さく分裂している。

さーて。今のところ、わたしにとっては居心地がいいけど、みなさまはどうだろう。自分も学生のころは苦労した記憶があるかも。まあ漱石先生を読むと、都市問題って100年前からなーにも変わってない気もする。でもニュースを見てると、社会から消えていく人の数が先進国ではズバ抜けて多いみたいだから、居場所には深刻な孤独が蔓延してるのかもしれない(経済学者なら「失われた20年」のせいだと断罪するだろう)。

後半はコミュニティに関する少し変わった視点をいくつか紹介したい。さようならー。

(後半につづく)

 

三品輝起(みしなてるおき)

79年生まれ、愛媛県出身。05年より西荻窪にて器と雑貨の店「FALL (フォール)」を経営。また経済誌、その他でライター業もしている。音楽活動では『PENGUIN CAFE ORCHESTRA -tribute-』(commmons × 333DISCS) などに参加。 

●パリの街角から:ムフタール通り

 

<ムフタール通りの常設のマルシェ>

こんにちは、フルール ド クールの阿部桂太郎でございます。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。さて今回は、パリのムフタール通りについてお話したいと思います。

 

ムフタール通り(Rue Mouffetard)とは、パリの5区にある長さ600m程の通りです。
「パリの胃袋」とも称されるこの通りには、パン屋さんやチーズ屋さん、八百屋さんや魚屋さん、肉屋さんや酒屋さんなどが軒を連ね、いつもパリジャン、パリジェンヌ達で賑わっています(ただし、月曜日はお休みのお店が多い)。

 

 

 

 

<雑貨屋さん>

またその他にも、地元の人々がくつろぐカフェやレストラン、雑貨屋さんや花屋さんなどもあり、ここに住む人々の生活を垣間見ることもできます。

なおムフタール通りは、パリで二番めに高いサント ジュヌヴィエーヴの丘から、真南に下るような坂道になっています(ちなみに、パリで一番高いのはモンマルトルの丘)。
また道幅は車一台が通れるくらい(一方通行)、路面は昔の面影を残す大小の石畳からなっています。

 

 

 

 

 

<ももにメロン、スイカにさくらんぼ…>

そしてこの通りの特徴は、いたって普通…であるということ。
高級ブランドのお店があるわけでもなく、また、高級食材を扱うお店があるわけでも、三ツ星レストランがあるわけでもありません。
あるのは普通の衣料品店であり、普通の食料品店であり、普通のレストランなのです。

さらに通りを行き交う人々も、ごくごく普通…。
服装といい、お買い物をする時の様子といい、まったく飾らない感じです。
まさにそれは、素顔のパリそのもの。
そして私くしは、そんなムフタール通りが大好きです。

 

 

 

 

<おててつないで>

皆様もパリにいらした時、是非、ムフタール通りを歩いてみてください。
そして、素顔のパリを楽しんでいただけたら嬉しく思います。

 

以上今回は、パリのムフタール通りについて、少しだけお話をいたしました。

 

 

阿部桂太郎

1965年8月22日生まれ。新潟県小千谷市出身。2003年よりフランス、パリ在住。インターネットショップ「フルール ド クール」を営む。好きなことは、旅をすること、食べること、温泉に入ること。