333DISCS PRESS

●国立の街角から

「やぼろじ」

目の前が甲州街道だということをつい忘れてしまうぐらい、ゆったりした時間が流れている。幼い頃、夏休みに遊びに行った田舎のおばあちゃんちを思い出すような、そんな懐かしさを感じる場所「やぼろじ」。建築家の和久さん(WAKUWORKS)が、谷保の古い日本家屋を改装して何か始めるらしい、という話を聞いたのは2年ほど前だったろうか。ほとんど活用されていなかった320坪の土地と建物が改修され昨年春、カフェ・工房・オフィスなどが共存する地域コミュニティとして蘇った。以来、地域の人々に開かれた場所としてにぎわいを見せている。ときにはライブ、野菜のマーケット、ガーデンパーティーといったイベントが開催されることも。

今年4月にオープンした「やま森カフェ」では、旬の食材を使った家庭的なごはん“母めし”をいただくことができる。日替わりの定食には少しずついろんな種類の野菜が使われ、見た目も楽しくお腹いっぱいになって大満足。(写真はある暑い日の定食。じゃがいもと豚のコロッケが絶品!)JR南武線谷保駅から徒歩5分ぐらい。9月2日(日)には5回目となるガーデンパーティーが行われるそう。誰でも気軽に遊びに行けるイベントなので、ぜひこの機会に訪れてみてほしい。http://www.yabology.com/

葉田いづみ
グラフィック・デザイナー。主に書籍のデザインを手がける。静岡県出身。2009年より国立に暮らす。

●西荻の街角から〜トウキョウエコノミー

「DON’T READ THIS TEXT(広告的文章)」

文責:三品輝起

こんにちは、みなさまお元気でしょうか。ぼくはすっかり夏バテでお腹をくだしながらも、案の定、いろいろ取材してきてはパチパチとキーを叩いて記事に変換しています。ヒカリエ、蔦屋書店、ソラマチ、おもはらの森、代々木ビレッジ、タニタ食堂、ダイバーシティ……まだまだあったはず。
のまどわーかーのためのくりえいてぃぶすぺーすをしぇあしてみませんか? とか、ろはすでさすてぃなぶるなおとなのあそびばがつくりたかったんだよねえ、とか、ほんやのさいしんけいおとなぶんかのさいごのがじょう(本屋の最新形・大人文化の最後の牙城……書いててはずかしい)とか、いろんな言葉がぼくの夏を通り過ぎていって、すばらしいんだけど、どれもこれも「出会った瞬間から別れの予感」みたいな趣がある。
でもしかたない。ぼくのように仕事で「東京らしい消費文化」に焦点を当ててずーと観察してると、世の中はあの手この手で新しい価値を生みだそうと躍起だ。「新しくあれ」という号令からは逃れられない。重要なポイントだから忘れないでほしいのは、そこでは「古くてもいいじゃない」「ほどほどでいいじゃない」「普通でいいじゃない」という価値も、立派な新しい価値なのだ。それがいやなら黙して山寺にでも籠るしかない。気が遠くなるくらい根は深い。

去年、立派なグローバル企業の代名詞、パダゴニアの「DON’T BUY THIS JACKET」っていう広告が、クリスマス商戦まっさかりのニューヨークに登場した。たぶん要約すると「みんな偽善というかもしれないけど、クリスマスに浮かれてないで地球のために慎重に物を選び、消費をおさえよう」てな内容だ。日本でも「これ広告なの?何なの?」と話題になった。ふーんと思ったぼくも広告についてちびちび考えてきた。
名著、北田暁大『広告都市・東京(その誕生と死)』の復刊と、いまの東京の開発をからめた記事を書いたりもした。本書は、つぶやきも顔本もアマゾンのデータベース広告も全面化されてなかった10年以上前に執筆されたものだけど、消費社会の伴走者である広告というものの本質にせまっている。以下、要約をぼくの書いた記事から引用(長くてすいません)。
「『差異を作りだすためには、手段を選ばない』広告は、あらゆるメディアに寄生することで存在する。資本主義が成熟し、空間的な差異や、技術的な差異がかつてほど利益を生みださなくなってくると、広告はイメージの差異を作りだす。そして、つねにその社会における『脱文脈的』なふるまいをすることで目を引き、消費を高めていく。そうやって増殖したイメージによる記号が、充満し、資本主義を駆動していく社会を、社会学では『消費社会』と呼んでいる。(……)広告はあらゆるメディアに寄生し、姿を変えていくなかで、自身の『いかがわしさ』を認識し、ついには隠しはじめる。人々が、広告であることを忘れるほど巧妙に。それが実現されたのが、80年代のセゾングループによる渋谷の開発だった。つまり広告は都市をまるごとメディアに選び、寄生したのだ。氏は90年ごろまでの渋谷を『広告都市』と名づけ分析する。そして我々は、その『広告都市』が死んだ『ポスト80年代』に生きている」(某誌・2012年3月19日掲載)

……以上(長くてすいません)。よくよく申し上げておきたいのは、この議論において、広告の中身が善意であるとか悪意であるとかは関係ないということだ(ちがう次元ではとても重要だけど)。もっといえば広告と商業は本質的にはイコールですらなく、広告はイメージの差異と、人々の目をひく「脱文脈的」なふるまいにだけに忠誠を誓っているということである。

広告が都市に憑依して、いつしか廃れ、姿をくらましてから世界は20年たってる。東京でいえば、バブル後の再開発ラッシュにでてきた、セゾングループの哲学を引き継ぎアートやデザインといったものをうまく担保にしたヒルズ、ミッドタウン、丸ビルといった文化系商業施設。もう一方に、ショッピングモールに江戸だの昭和30年代だの自閉したコンセプトをくっつけた劇場型商業施設、という流れがあった。でも、いまやすっかり文脈的だ。「脱文脈的」な広告はつねに進化しつづけてるんだとすれば、どこにいっちゃったんだろう?
北田氏は増補された文章のなかで、ポスト80年代の広告として、目に見えないフェロモンのように拡散していくイメージを提出している(話は戻るが「このジャケットを買わないでください」というパタゴニアの気高い広告は、「目に見える」点では実にオールドスクールなものだが、広告に反する広告、いまであれば消費を抑制する投資というものが、もっとも広告の脱文脈的なふるまいであることも見逃せない)。

ここから先は勝手な憶測にすぎないけど、広告がフェロモンとか匂いみたいに広がってるとすれば、目の前にあるもの、目には見えないもの、美しいと思う感性や、正しいと信じてる思想、未来の夢や、過去の記憶、自分自身のものだと疑わない身体やふるまいに至る、あらゆるものをメディアに見立てたとしてもおかしくない。『インセプション』みたいだけど。
じゃあSNSはどうだろう。「拡散希望!」や「いいね!」といった楽しいシステムが、セルフプロデュースなのかマーケティングなのか虚空に向けらたものなのか本人にも判別できない新たな言葉を用意して、徐々に人々の自意識の形や思考やふるまいを変えているかもしれない。それは未来から見れば「広告的人間」のスタートラインを意味してる可能性だってある。しつこいようだけど広告が良い悪いの話じゃない。ともあれそれらを明らかにするのは、ずっと後の世代の仕事になる。
きっと80年代に渋谷を闊歩したかつての若者と同じように、いまを謳歌するべきなのだろう。それでも。すべての人やモノの間でイメージの差異化が自動発生する条件から、どうやっても逃れられないんだろうか。ぼくは本書から一握りの希望を受けとった気がしたけど、のまどわーかーのためのくりえいてぃぶすぺーすをしぇあしませんか、って何の話だったっけ、とか騒いで日々過ごしてるうちに忘れてしまった。この文章は、だれの文章なのか。

三品輝起

79年生まれ、愛媛県出身。西荻窪にて器や雑貨の店「FALL (フォール)」を経営。また経済誌、その他でライターもしている。音楽活動ではアルバム『LONG DAY』(Loule)を発表。ただいま冬のリリースに向け、アルバム製作中。

●乙女歌謡

こんにちは。甲斐みのりです。333pressの乙女歌謡コーナーでは、日本語の歌に限らず、私が10代の頃に夢中になっていた歌をご紹介いたします。

普段は愛らしいボーカル、メロディー、歌詞の歌をご紹介することが多い中、今回は少し趣が異なります。はじめてこの歌を耳にしたのは、10代もあと少しで終わりを迎える頃だったでしょうか。中古レコード屋で流れてきた、演奏や女性の歌声に大きく心を揺り動かされ、めったに話しかけることのない店員さんに曲目を尋ねたほど。けれども結局、レコードが思いのほか高価で、メモだけを持って帰りました。それからその歌と再会し、CDが自分の元にやってきたのは数年が過ぎたあと。今はインターネットやYou tubeでほしいCDや聴いてみたい音楽をすぐに検索も購入もできるけれど、当時はまだ、好きな音楽はレコード屋に通い必死に掘り出していた時代でした。

その歌というのが、74年に発表された、アルバム『SLAPP HAPPY』に収録されているSlapp Happyの「Casablanca Moon」。Slapp Happyは、イギリス人のアンソニー・ムーア、アメリカ人のピーター・ブレグバド、ドイツ人のダグマー・クラウゼと、国籍の異なる3人編成のアヴァン・ポップ・グループ。タンゴのリズム、切なげなピアノとバイオリン。ダグマー・クラウゼの可憐で意思の通った歌声。深い夜の森に差し込む光のような情緒と妖艶さに引き込まれ、夜がくるたび繰り返し聴いていました。昔は今よりも音楽に夢中で、「これは夜に似合う音楽」と音楽ごと聴く時間を変えていたりしたのですが、「Casablanca Moon」はタイトルからというだけでなく、人の闇の部分を美しく映し出しているような気がして、“夜の音楽”に選り分けていたのです。この「Casablanca Moon」が発表される前年に発表されるはずで、しかし前衛的という理由で発売中止になったアルバム『Acnalbasac Noom』にも、「Casablanca Moon」の別バーションが収録されています。

まだ京都に住んでいた2000年、京大の西部講堂でSlapp Happyのライブを聴くことができたのですが、ダグマー・クラウゼが歌う「Casablanca Moon」をすぐそばで感じたとき、嬉しいような切ないような言葉にできない感慨を覚え、涙がこぼれてきました。 今でも月が綺麗な夜には、Slapp Happyが聴きたくなります。

甲斐みのり

文筆家。1976年静岡生まれ。旅・お菓子・各地の食材・クラシックホテルや文化財の温泉宿などを主な題材に、女性が憧れ好むものについて書き綴る。http://www.loule.net/

 

●おやこでおでかけ

【夏のお守り】

わんぱくな子どもたちはどこにいてもよく走り、よく転ぶもの。ちょっとした傷は日常茶飯事ですが、暑い季節は生足を出していることが多いので、膝の擦り傷なんかが特に増えますよね。さらにその子どものおいしそうな足を狙ってすかさずやってくるのが憎き蚊たち。本当に憎い!

夏のお守りとして、私はチューブ型の消毒薬(マキロンS軟膏)とミニ虫刺され薬(ポケムヒ)、スリムボトルに入れた虫除けスプレーを持ち歩いています。些細なかすり傷で大げさに泣いた時にも、軟膏をぱっと塗って絆創膏をばしっと貼ればプラシーボ効果もあったりして…。アイテム自体は普通の常備薬ですが、小さなポーチにも収まるサイズがちょうどよく、邪魔にならないのが気に入っています。

岩崎一絵
当ウェブマガジン編集担当。北海道出身。3歳児の育児奮闘中。

●tico moon

6月下旬から7月初頭にかけて、北海道~青森に伺ってきました。北海道へは初めてのフェリー移動。懸念していた揺れも無く、思いの外快適な船旅でした。苫小牧へ到着してすぐに札幌へ移動、6月24日(日)の夜は久し振りに札幌チョロンさんでのライブでした。相変わらずの素敵なスペースでの演奏、とても気持ち良かったです。

翌月曜は朝早く旭川へ移動、近文第二小学校でお昼に演奏会。演奏前には生徒さん達と一緒に北海道の食材を使った給食をいただきました。久し振りの小学校給食、とても美味しかったです!

翌火曜の夜は旭川在住の陶芸家工藤和彦さん主催のアートスペース、スタジオバンナでライブ。古い温泉旅館を改装したスペースは懐かしさで一杯、もともとあった卓球台で、空き時間は卓球三昧でした。週末まで北海道の味を堪能した後、6月30日(土)はいよいよニセコで森のカフェフェス。初めてのニセコは最高のロケーションで、お天気にも恵まれ、気持ち良い一日を過ごしました。昨年のカフェフェス以来のアンサリーさんとの共演も楽しかったです!

翌日は青函フェリーに乗って青森に移動。翌月曜は青森市内での初ライブ。会場のコノハトカフェ&レコーズさんは台湾茶の専門店でもあります。美味しいお茶をいただきました。今回の旅でもここに書ききれない程のたくさんの素敵な出会いに恵まれました。

そして7月15(日)には下北沢のleteさんで恒例の結成記念日ライブ、翌週7月22日(日)には昨年クリスマス以来の神戸みみみ堂さんでライブ。どちらのライブもたくさんのお客様に聴いていただけて、楽しいライブになりました。今年の前半もお陰様で色々な場所で演奏を聴いていただく事ができました。お会いした全ての皆様に心からの感謝を込めて、本当にありがとうございました!

(影山敏彦/tico moon)